島と都会を行き来する、デュアルな暮らしがあってもいい。

2020.9.28 | 株式会社シマトワークス 徳重正恵

interview

企業と生産者をつなぐツアーや、企業研修、淡路島の豊かな資源を生かした場作りを行うシマトワークス。彼らがはじめようとしている淡路島でのワーケーションプログラムをひもとく手がかりとして、シマトワークスの3人のはたらき方や暮らし方、生き方への向き合い方を伺います。

昨年からシマトワークスのメンバーに加わった徳重さん。淡路島を暮らす場所、はたらく場所として選ぶに至るまで、徳重さんと深く関わってきたおふたりのゲストと共にお話を伺いました。

(聞き手:No.24藤田祥子)

年齢を超えてできた、
新しい友達

-徳重さんは7年もの間、淡路島と神戸を行き来する暮らしをしていたと聞きました。どんなきっかけで淡路島に通うようになったのでしょうか?

徳重:2009年頃、後にシマトワークスを立ち上げる富田くんが中心となって開催していた、洲本紡績工場の跡地でキャンドルナイトが開催されたんです。先輩に誘われて参加したのですが、準備から打ち上げまで全力で楽しむ人たちが集まっていて、とても驚きました。大人が全力で遊ぶとこんなことになるのかぁって!!笑。そのあと、富田くんから誘われて、淡路はたらくカタチ研究島の研究会に参加しました。そこで出会ったのが、富田くんとはたらくカタチ研究島を運営していたやまぐちさん。

やまぐち:はたらくカタチ研究島を通して、淡路島に頻繁にきてくれるようになったしげちゃんの存在はとっても気になっていました。当時しげちゃんはアパレルのお仕事をしていて、手芸にも興味があると耳にしたんです。そこで、わたしの母親の止まらぬ創作意欲を受け止めてくれないかなともちかけたんです笑。

ばぁばんと新しい縫い物の相談をする徳重さん

徳重:ばぁばん(やまぐちさんのお母さんの西岡栄子さん)との出会いは、ピクニックイベント用の大きなレジャーシートをつくるお話でしたよね。仕事柄、可愛い布やパーツにふれるのは好きだったけど、自らつくることってほとんどなくて。そんな時に、手をうごかしたくてしょうがないばぁばんを紹介されたんです。

ばぁばん:孫たちも大学に進学して、家から出ていってしまって。ちょうどその時にミシンを買ってもらって。なにか作りたくて、作りたくて笑。

徳重:神戸で仕事を終えたら金曜日バスに乗って淡路島に行って、ばぁばんたちと合宿したりしながら、ピクニックイベントのレジャーシートを仕上げました。不思議な島だなぁと感じたのは、誰もが世代を超えて同じ立場で友人になれること。ばぁばん以外にも手を動かすことが好きという共通点で、さまざまな年代の友人が増えていきました。しらずしらず輪が広がって、手芸チーム”淡路島女子部”が誕生しました。

淡路島女子部のみんなでちくちくと縫物。近所のお友達たちも一緒に。

島に行けば気持ちが変わる、
新しい発想も生まれる

-いろんな場所があるなかで、そうした関係性が生まれたのは淡路島だけだったのですか?

徳重:都会暮らしのいろんなしがらみを置いて、金曜日の仕事終わりにバスに飛び乗って、橋を渡って淡路島にいく。それが私にとって大切な時間になっていったんですよね。同じぐらい時間と距離がある場所に行ってもそうは感じられませんでした。不思議と、バスに乗って橋を渡っていく間に気分が変わっていくんです。いつもなら仕事に追われて考えられないことも、淡路島っていう場所に行けばアイデアを膨らませて楽しむことができる。そうした時間が私の暮らしになくてはならないものになっていきました。

バスの車窓からは大きく広がる海や、海に沈む夕日や月が見える。

やまぐち:「週末おしげ」って呼ばれるくらい、淡路島にずっと通ってたよね。

徳重:特に縫製が好きなばぁばんとの出会いは私にとって革命的でした。仕事でお洋服をつくるとなると、何百枚という単位で工場にお願いしなければなりません。ですが、ばぁばんとなら少ない数でもつくりたいものがつくることができたんです。次第に仕事としてばぁばんとものづくりをする時間もどんどん増えていきました。

ばぁばん:しげちゃんがおうちに来てくれるのは、私もとっても嬉しかった。

徳重:女子部の活動が中心にあったけど、何度も何度もおうちに泊まらせてもらって、ごはんを食べさせてもらって……。暮らしの時間を共にすることも増えていきました。自然がいっぱいあるとか、神戸から少し離れた場所って他にもあるけど、ばぁばんや島の人たちはオープンな距離感で私を受け入れてくれました。こうした環境は他になかったんです。

やまぐち:私の仕事柄、全国各地のゲストをうちにお招きすることも多かったんですよね。だからばぁばんも、普段からいろんな人が家にいることにはなれていたよね。

ばぁばん:来る人によって話も違うから、人が来てくれることはとても楽しくて。しげちゃんが来てくれるのも、子どもや孫たちが帰ってくる感覚でした。さらにしげちゃんとは手芸という共通点がありました。縫い物のことで、わたしのことを頼りにしてくれたのも嬉しかったし、しげちゃんとは気があったなぁって思います。

淡路島女子部のアイテム。淡路島のマーケットでも人気を集めている。

徳重:こんな風に言ってくれる人がいて、どうせ何かつくるならお披露目の場というか、誰かに買ってもらえたらいいなって思うようになりました。そんなことを考えていた時に、淡路島で開催されていた「レトロこみちの町歩きイベント」が目に止まって。みんなでつくった雑貨の販売で出店してみたところ、思った以上の反響に驚きました!それからはイベント出店で売り上げた金額を材料代にあてたり。楽しみが広がっていくとともに、活動の幅も広がっていきました。

島の人と人との関係性のなかで、
安らぐことができた。

-淡路島での経験は、普段の暮らしに影響していましたか?

お正月飾りをばぁばんの手ほどきで教えてもらう。

徳重:ばぁばんに教えてもらったことを、都会の友達にシェアしたりしていました。例えばお正月飾り。稲穂や松などを組み合わせてお飾りをつくるのですが、都会だとわざわざつくる機会ってない。でもばぁばんは当たり前のように暮らしの中でつくっていたんです。ばぁばんに教えてもらった楽しみを、神戸の友人たちにも提供できたらいいなって考えるようになって。島に来てもらったり、逆に島で経験したことを神戸に持っていったりするようになりました。

刺繍アーティストの二宮佐和子さんのわくわくする作品。

ばぁばん:しげちゃんが当時働いていたアパレルのお仕事を女子部で請け負ったりすると、見たことのないおもしろい素材やデザインにふれる機会があって。そのたびにとても新鮮な気持ちになれました。しげちゃんには楽しいことにたくさん出会わせてもらったなぁ……。自分だけだと好きなものを好きなだけつくっていただけ。でも、しげちゃんにこうして作って欲しいって頼ってもらえるようになって、新しい出会いはもちろん、自分の存在が役に立つことがとても嬉しかったです。

徳重:7年もすると、島に行くと誰かが声をかけてくれたり、馴染みのお店ができたり、相手をしてくれる人が増えたり。第二のふるさとのというか、島に心から安らぐ場所ができていきました。

やまぐち:神戸と淡路島を行ったり来たり、7年だもんね。

徳重:数字にすると長く感じますね~!笑。7年経ってようやくというか、自分自身の「はたらき方」を変えるタイミングがやってきた、それが昨年のことです。シマトワークスに加わって、新しい仕事をはじめることにしました。どこに住んでもいいよということだったのですが、自分にとっても一番いいな!と思えたのが、ずっと行き来してきた淡路島でした。7年間のデュアルな生活がなかったら、今の暮らしはなかったなと思います。

左からばぁばん、徳重さん、やまぐちさん。

-これからシマトワークスが提案しようとしているワーケーションのプログラムでも、徳重さんの経験が活かされそうですね。

徳重:二拠点の生活の楽しさや可能性を誰より知っている自信があります。ふたつの場所をもつことで、私はいろんな物事をやわらかく広く考えられるようになりました。これがだめならこうした方法もあるかも?って。また、普段の暮らしから離れたゆったりとした時間の中では「自分にとって何が大切か」ということもとてもクリアに考えられるようになります。もとの生活に戻ったとしても、それが見えていれば自分の思い描く生き方を、自分で決めていけると思うのです。はたらき方、暮らし方、生き方。ワーケーションのプログラムを通して、わくわくできる生き方をみなさんと一緒に探すことができたら私も嬉しいです!


やまぐちくにこさん

淡路島を耕す女。 凝り固まった価値観を耕し、自然から溢れる創造と想像の喜びを育てることを使命とする。 洲本市「洲本市民工房」市民ギャラリー企画運営/ NPO法人淡路島アートセンター設立 / 淡路はたらくカタチ研究島設立 。

ばあばん

淡路島女子部のメンバー。淡路島のみんなのお母さん的存在。ロックミシンを操り、どんな困難なオーダーもカタチにしていく。ばぁばんのつくる何気ないおうちごはんに胃袋を掴まれた人も多い。