【シマトワークス インターンレポート】〜優しさの中で生きる〜 東京大学 佐藤洸大

インターンをするきっかけ

僕は2022年4月より大学を1年間休学し、「淡路ラボ」という団体に所属しながら淡路島で活動してきました。その中で自分の活動の幅をさらに広げたいという思いから、シマトワークスの代表である富田さん(以下トミーさん)に何か一緒に活動したいと伝えたところ、快諾してくれてインターン生になりました。

farm studioで一緒にDIYをしたり、トミーさん企画のプログラムに参加したり、コワーキングスペースをお借りしたり。なんだかインターンというよりも、シマトワークスの皆さんと島暮らしを楽しむような形になりました。

しかしそれでもシマトワークスの皆さんはいわゆるインターンっぽい活動を全然しない僕のことを受け入れてくれました。

今回はシマトワークスの皆さんとの関わりを通して、僕が感じたことを書いていこうと思います。

シマトワークスの皆さんとの思い出

シマトワークス取締役の玉井さん(以下玉ちゃん)はよく僕に中島らもの話をしてくれました。中島らもの奇想天外で刺激的な思想は、いつも僕に新しい問いを与えてくれました。

玉ちゃんは、どんな変な考え方やアイデアも受け入れて面白がってくれます。

ある時僕が「玉ちゃんが製麺機を持っている」という噂を嗅ぎつけ、玉ちゃんと一緒にラーメン屋さんをやりたいと話したら、やろう!と言ってくれて、洲本にある商店街のイベントで実現することになりました。(結局玉ちゃんの製麺機は使わず、作ったのもラーメンではなくうどんでしたが笑) 玉ちゃんと話す中で、僕の無茶振りや変な考え方を面白がってくれる玉ちゃんの言葉に、僕は背中を押されることが何度もありました。

インターン活動の一環で、farm studioの小屋でDIYをした時の様子

同じく取締役の徳重さん(以下しげちゃん)と初めて会ったのは、しげちゃんのPURARE:という布小物のお店でした。

お店に入るなりすぐにしげちゃんがオレンジジュースを出してくれて、好きな名刺ケースを一つあげると言ってくれました。その時、これは一体どういう商売なんだろう?と思いましたが、今思うそれは商売ではなくしげちゃんの生き方だったのだと思います。

僕が友達を洲本に連れてきた時も、一緒に洲本のまち歩きをしてくれたり刺身を買ってきてくれたり、その底知れぬ優しさにいつも驚かされました。

僕が連れてきた神戸と島根の友達に、しげちゃんが刺身を振る舞ってくれている様子

トミーさんと飲みに行くと、トミーさんはひたすら僕に会社や周囲の人たちへの愛を語ってくれます。

嘘偽りなく会社への熱い想いを語る姿に、この社長と一緒に働ける社員の皆さんはなんて幸せなのだろうと思いました。そしてまだ何者でもない僕に対してもトミーさんは「期待している」と話してくれて、僕もその愛を感じることができました。

トミーさんは僕にとって職人のようです。

僕の中での職人とは、永遠に自己探求を続け、自分の満足を探している人。

そして生きるエネルギーが周りに伝播し、周囲の人たちが自然とワクワクさせられる人。 トミーさんが”生き方”を探求し続ける姿に、僕も自然とワクワクさせられました。

トミーさん企画の「予測不可能な世界の中での人生を楽しむ方法」の様子

ワーケーションHubではシマトワークスの社員である藤田さんの企画で交流会が不定期で開催されています。

僕も2回ほど参加したのですが、参加者が各地の食材を持ち寄ったり、貴重なお酒を持ち寄ったりなど、優しさが溢れる素敵な交流会でした。

僕はその後そこで知り合った方と一緒に釣りに行ったり、なるとオレンジの収穫をしに行ったりなど、Hubを拠点にさまざまな方と島の暮らしを楽しむことができました。

交流会の様子

シマトワークスのワーケーションhubに併設されているカフェ、farm studioテーブルと燕では、僕が作ったお弁当をみんなで食べる会を開催しました。

僕が初めて食べた時に感動したテーブルと燕のお弁当を、お世話になっている人たちに振る舞うという企画でした。

お弁当を作る会を通して気づいたのは、僕にとって「自分の大好きな人たちに、自分の大好きなもの・人を紹介すること」はこの上ない幸せなのだということです。それは単なる僕の自己満足に過ぎないのですが、その幸せが周りに伝播すれば、それで良いのだと思いました。

お弁当を食べる会で参加者15名ほどがお弁当を食べている様子

終わりに

今回のインターンを通して、シマトワークスの人たちの強さと優しさのある生き方に触れ、僕自身も自分の生き方・働き方を見つめ直すことができました。

シマトワークスの皆さんは、まるで何かを耕しているように見えます。長い年月をかけて、まだ言葉になっていない世界を作り出しているような。

淡路島生活を終えた僕も、これからきっと何かを耕し続けていくのだと思います。

それが何か今は言語化できないけれど、場所を問わず、手段を問わず、自分の中の探求活動を続けていきたいです。