島と都会を行き来する、デュアルな暮らしがあってもいい。

企業と生産者をつなぐツアーや、企業研修、淡路島の豊かな資源を生かした場作りを行うシマトワークス。彼らがはじめようとしている淡路島でのワーケーションプログラムをひもとく手がかりとして、シマトワークスの3人のはたらき方や暮らし方、生き方への向き合い方を伺います。

昨年からシマトワークスのメンバーに加わった徳重さん。淡路島を暮らす場所、はたらく場所として選ぶに至るまで、徳重さんと深く関わってきたおふたりのゲストと共にお話を伺いました。

(聞き手:No.24藤田祥子)

年齢を超えてできた、
新しい友達

-徳重さんは7年もの間、淡路島と神戸を行き来する暮らしをしていたと聞きました。どんなきっかけで淡路島に通うようになったのでしょうか?

徳重:2009年頃、後にシマトワークスを立ち上げる富田くんが中心となって開催していた、洲本紡績工場の跡地でキャンドルナイトが開催されたんです。先輩に誘われて参加したのですが、準備から打ち上げまで全力で楽しむ人たちが集まっていて、とても驚きました。大人が全力で遊ぶとこんなことになるのかぁって!!笑。そのあと、富田くんから誘われて、淡路はたらくカタチ研究島の研究会に参加しました。そこで出会ったのが、富田くんとはたらくカタチ研究島を運営していたやまぐちさん。

やまぐち:はたらくカタチ研究島を通して、淡路島に頻繁にきてくれるようになったしげちゃんの存在はとっても気になっていました。当時しげちゃんはアパレルのお仕事をしていて、手芸にも興味があると耳にしたんです。そこで、わたしの母親の止まらぬ創作意欲を受け止めてくれないかなともちかけたんです笑。

ばぁばんと新しい縫い物の相談をする徳重さん

徳重:ばぁばん(やまぐちさんのお母さんの西岡栄子さん)との出会いは、ピクニックイベント用の大きなレジャーシートをつくるお話でしたよね。仕事柄、可愛い布やパーツにふれるのは好きだったけど、自らつくることってほとんどなくて。そんな時に、手をうごかしたくてしょうがないばぁばんを紹介されたんです。

ばぁばん:孫たちも大学に進学して、家から出ていってしまって。ちょうどその時にミシンを買ってもらって。なにか作りたくて、作りたくて笑。

徳重:神戸で仕事を終えたら金曜日バスに乗って淡路島に行って、ばぁばんたちと合宿したりしながら、ピクニックイベントのレジャーシートを仕上げました。不思議な島だなぁと感じたのは、誰もが世代を超えて同じ立場で友人になれること。ばぁばん以外にも手を動かすことが好きという共通点で、さまざまな年代の友人が増えていきました。しらずしらず輪が広がって、手芸チーム”淡路島女子部”が誕生しました。

淡路島女子部のみんなでちくちくと縫物。近所のお友達たちも一緒に。

島に行けば気持ちが変わる、
新しい発想も生まれる

-いろんな場所があるなかで、そうした関係性が生まれたのは淡路島だけだったのですか?

徳重:都会暮らしのいろんなしがらみを置いて、金曜日の仕事終わりにバスに飛び乗って、橋を渡って淡路島にいく。それが私にとって大切な時間になっていったんですよね。同じぐらい時間と距離がある場所に行ってもそうは感じられませんでした。不思議と、バスに乗って橋を渡っていく間に気分が変わっていくんです。いつもなら仕事に追われて考えられないことも、淡路島っていう場所に行けばアイデアを膨らませて楽しむことができる。そうした時間が私の暮らしになくてはならないものになっていきました。

バスの車窓からは大きく広がる海や、海に沈む夕日や月が見える。

やまぐち:「週末おしげ」って呼ばれるくらい、淡路島にずっと通ってたよね。

徳重:特に縫製が好きなばぁばんとの出会いは私にとって革命的でした。仕事でお洋服をつくるとなると、何百枚という単位で工場にお願いしなければなりません。ですが、ばぁばんとなら少ない数でもつくりたいものがつくることができたんです。次第に仕事としてばぁばんとものづくりをする時間もどんどん増えていきました。

ばぁばん:しげちゃんがおうちに来てくれるのは、私もとっても嬉しかった。

徳重:女子部の活動が中心にあったけど、何度も何度もおうちに泊まらせてもらって、ごはんを食べさせてもらって……。暮らしの時間を共にすることも増えていきました。自然がいっぱいあるとか、神戸から少し離れた場所って他にもあるけど、ばぁばんや島の人たちはオープンな距離感で私を受け入れてくれました。こうした環境は他になかったんです。

やまぐち:私の仕事柄、全国各地のゲストをうちにお招きすることも多かったんですよね。だからばぁばんも、普段からいろんな人が家にいることにはなれていたよね。

ばぁばん:来る人によって話も違うから、人が来てくれることはとても楽しくて。しげちゃんが来てくれるのも、子どもや孫たちが帰ってくる感覚でした。さらにしげちゃんとは手芸という共通点がありました。縫い物のことで、わたしのことを頼りにしてくれたのも嬉しかったし、しげちゃんとは気があったなぁって思います。

淡路島女子部のアイテム。淡路島のマーケットでも人気を集めている。

徳重:こんな風に言ってくれる人がいて、どうせ何かつくるならお披露目の場というか、誰かに買ってもらえたらいいなって思うようになりました。そんなことを考えていた時に、淡路島で開催されていた「レトロこみちの町歩きイベント」が目に止まって。みんなでつくった雑貨の販売で出店してみたところ、思った以上の反響に驚きました!それからはイベント出店で売り上げた金額を材料代にあてたり。楽しみが広がっていくとともに、活動の幅も広がっていきました。

島の人と人との関係性のなかで、
安らぐことができた。

-淡路島での経験は、普段の暮らしに影響していましたか?

お正月飾りをばぁばんの手ほどきで教えてもらう。

徳重:ばぁばんに教えてもらったことを、都会の友達にシェアしたりしていました。例えばお正月飾り。稲穂や松などを組み合わせてお飾りをつくるのですが、都会だとわざわざつくる機会ってない。でもばぁばんは当たり前のように暮らしの中でつくっていたんです。ばぁばんに教えてもらった楽しみを、神戸の友人たちにも提供できたらいいなって考えるようになって。島に来てもらったり、逆に島で経験したことを神戸に持っていったりするようになりました。

刺繍アーティストの二宮佐和子さんのわくわくする作品。

ばぁばん:しげちゃんが当時働いていたアパレルのお仕事を女子部で請け負ったりすると、見たことのないおもしろい素材やデザインにふれる機会があって。そのたびにとても新鮮な気持ちになれました。しげちゃんには楽しいことにたくさん出会わせてもらったなぁ……。自分だけだと好きなものを好きなだけつくっていただけ。でも、しげちゃんにこうして作って欲しいって頼ってもらえるようになって、新しい出会いはもちろん、自分の存在が役に立つことがとても嬉しかったです。

徳重:7年もすると、島に行くと誰かが声をかけてくれたり、馴染みのお店ができたり、相手をしてくれる人が増えたり。第二のふるさとのというか、島に心から安らぐ場所ができていきました。

やまぐち:神戸と淡路島を行ったり来たり、7年だもんね。

徳重:数字にすると長く感じますね~!笑。7年経ってようやくというか、自分自身の「はたらき方」を変えるタイミングがやってきた、それが昨年のことです。シマトワークスに加わって、新しい仕事をはじめることにしました。どこに住んでもいいよということだったのですが、自分にとっても一番いいな!と思えたのが、ずっと行き来してきた淡路島でした。7年間のデュアルな生活がなかったら、今の暮らしはなかったなと思います。

左からばぁばん、徳重さん、やまぐちさん。

-これからシマトワークスが提案しようとしているワーケーションのプログラムでも、徳重さんの経験が活かされそうですね。

徳重:二拠点の生活の楽しさや可能性を誰より知っている自信があります。ふたつの場所をもつことで、私はいろんな物事をやわらかく広く考えられるようになりました。これがだめならこうした方法もあるかも?って。また、普段の暮らしから離れたゆったりとした時間の中では「自分にとって何が大切か」ということもとてもクリアに考えられるようになります。もとの生活に戻ったとしても、それが見えていれば自分の思い描く生き方を、自分で決めていけると思うのです。はたらき方、暮らし方、生き方。ワーケーションのプログラムを通して、わくわくできる生き方をみなさんと一緒に探すことができたら私も嬉しいです!


やまぐちくにこさん

淡路島を耕す女。 凝り固まった価値観を耕し、自然から溢れる創造と想像の喜びを育てることを使命とする。 洲本市「洲本市民工房」市民ギャラリー企画運営/ NPO法人淡路島アートセンター設立 / 淡路はたらくカタチ研究島設立 。

ばあばん

淡路島女子部のメンバー。淡路島のみんなのお母さん的存在。ロックミシンを操り、どんな困難なオーダーもカタチにしていく。ばぁばんのつくる何気ないおうちごはんに胃袋を掴まれた人も多い。

暮らし方やはたらき方に“インターバル”を取る

企業と生産者をつなぐツアーや、企業研修、淡路島の豊かな資源を生かした場作りを行うシマトワークス。彼らがはじめようとしている淡路島でのワーケーションプログラムをひもとく手がかりとして、シマトワークス3人のはたらき方や暮らし方、生き方への向き合い方を伺いました。

(聞き手:No.24藤田祥子)

僕らがやってきたこと、
もしかして役立つんじゃない?

– 改めて、今回の活動に至るまでの活動について聞かせてください。

ぼくらシマトワークスは、瀬戸内に浮かぶ淡路島という島に拠点を置きながら3人で活動しています。僕が島にわたってきたのは、2011年のこと。もうすぐ10年になります。

2012年から2016年まで実施されていた、地域の雇用創出を目的とした厚生労働省の委託事業「淡路はたらくカタチ研究島」の立ち上げをきっかけに島へやってきました。経営者やデザイナー、編集者やファシリテーターなど、さまざまな講師を淡路島に招いて、年に300人を超える参加者たちと「はたらき方」や「生き方」を考えました。

2014年に「わくわくする明日をこの島から」をモットーに掲げる、シマトワークスとして独立。島をフィールドに置きながら、地域や分野、個人・団体・企業を超えて企画提案を行ってきました。昨年には、友人だったふたりが仲間になって、事業や活動範囲もさらに広がりはじめています。

シマトワークスの設立式を行った淡路島のいちご園にて

– そんなシマトワークスの新たな活動としてはじまろうとしているのが、ワーケーションプログラムなんですね。

実は昨年から提案したいと準備をはじめていたプログラムだったんです。ですが、この2020年に広がった新型コロナウィルス感性症の拡大によって、誰しもが大きな影響を受けましたよね。

会社に行って働いて家に帰ってくる。仕事の後に友達とあって呑みに行く。休日は家族や気のおけない仲間たちと遊びに出かける。

そんな当たり前のことができなくなって、これまでの働き方や暮らし方を一新しなければならなくなりました。

シマトワークスでは、これまでもリモートワークや二拠点生活に近い暮らし方をおくってきたメンバーが集っています。僕自身も年に1ヶ月間を海外で過ごす、12分の1海外暮らしを3年ほど続けてきました。

世の中がざわつきはじめて、多くのひとたちが急速な変化を余儀なくされる中で、今こそワーケーションプログラムが、みんなにとって役立つんじゃないかと思いはじめたんです。

ベトナムでの12分の1海外暮らしの様子

たとえばリモートワーク。多くの人が家で働いてみて良いことも沢山あったと思うけど、大変だったことも沢山でてきたと思うんです。仕事とプライベートのオンオフがぐちゃぐちゃになってしまったとか。

会社にはデスクがあって、始業時間があって、休日があって、集中して仕事するための場所があったわけです。いざリモートワークってなったら、会社が提供してくれていたオフィス空間の心地よさみたいなのを、自分でつくらないといけないわけですから大変ですよね。

今もなお新しいことだらけ、もとに戻ったようでそうではなくて。この3ヶ月ほど余儀なくされた暮らしの形は、またどんどん変わっていく可能性が高い。そうなったとき、暮らしやはたらき方、生き方をどうするか。会社側も、社員さん自身も、ちょっと落ち着いて考えてみる必要があると思うんです。

12分の1 海外暮らしから見えた
「インターバル」とは?

– さきほどの話にもあった、12分の1海外暮らしというのは普通の旅行とはまたちがうのですか?

「暮らしの実験」と題して、一年の一ヶ月をベトナムで奥さんと過ごし始めました。当初は、はたらき方も含めて、暮らしにもう少し刺激があってもいいなというくらいの気持ちでスタートしたんです。

3年やってみて、今では自分たちにとって大切な期間になっていて……。あの1ヶ月がないとちょっともうやっていけないなって言うくらい笑。

単純に楽しいだけじゃなくて、何かをいつも感じて帰ってきていました。それって何だろうって3回やってみて、繰り返し考えて。今年やっと「インターバル」という言葉が浮かびました。自分たちがベトナムでやってたのって、旅でも休暇とも違う。暮らしとかはたらき方のなかにインターバルをとってる感じだなって思ったんですよね。

海を眺めながら働く(ベトナム ニャチャンにて)

– インターバルというのは、スポーツでよく聞く言葉ですね。

はい。いつもの日本での暮らしやはたらき方は、100%以上の力を使いながら動いている期間です。ベトナムへも日本の仕事を持っていって、ビデオ会議とかしながら、日本でいるのと変わらないくらい働いています。

ただ、一ヶ月日本を離れると、関係性が大きく変わるんですよね。友人や同僚、家族や自分との関係性が。物理的距離があるので、圧倒的に出会う人が減るんです。

他者との関係性が減ったことで、逆に増えるのが自分や家族との時間です。そこに集中できる。1ヶ月のあいだ、思いっきりそこに時間を注いでみると、自分にとってベストといえる心や頭の状況が整っていたんですよね。

ベトナムでは仕事など停止はしないけど、早い鼓動を保ったままちょっとゆるやかに動き続ける。インターバルをとっているというイメージです。

会社で働いていたら、平日があって休日があって。休みの日にリセットして整えていたのかもしれない。けど、リモートワークみたいに、休みもはたらく日も境い目がぼやけてくると、いつ休んだのかわからなくて気がつくと息切れ……みたいな笑。

「自分をベストに整える時間」という意味でインターバルをはさむ、すると次の100%の動きに繋がるなぁって実感しました。

自分らしい暮らし方・はたらき方を
10年間ずっと、考えてきた

– 自分自身の体験を通して感じたことを、これからワーケーションプログラムで形にしていこうとされているんですね。

そうですね、僕たちが身をもって感じたこの状況を、淡路島で仕組として提供すればいいんじゃないかって昨年くらいから考えるようになりました。淡路島ならこれまで僕たちが見つけてきた、心地よくて気持ちいい時間や空間、人たちをつないでいけるからです。

島の中には色々な仕事と働き方が存在している

会社のチームやメンバーと一緒に淡路島へやってきて、「どうやったら、心地よくはたらけるかな?」っていうのをちょっと実践してみる。こういうサイクルで働けばできそう!とか、そういうのを自分のなかでつかみながら、自宅に戻ってリモートワークしてみる。ひとりでずっと働いているとどうしても暮らしのリズムが乱れるもんだから、定期的に島でインターバルを設けて、はたらき方をメンテナンスする。そうやって自分のはたらき方を定着させていくと言うか。そういうプログラムを提案できたらいいなと考えています。

– そうした島の中のネットワークがあるのも、訪れる人にとっては魅力的ですね。

農家、畜産家、漁師、料理人など色々な仲間が島に集う

都会でもいろんな人たちがいるし、いろんな場所がある、そこに住む人もはたらく人も多種多様。でもそれを、ぼくが本当の意味で理解したのは淡路島に来てからです。

島でいろんな人たちに出会って、自分とはまったく違うはたらき方を目の当たりにしたんです。自然と自分のはたらき方を見直すようになって。僕自身、自分のはたらき方ってなんだろうって何度も考えてきました。そこから独立してシマトワークスになっても、仕事や生き方、どんなのがいいんだろうって。

日々更新しながら、この10年はたらき方のことをずっと考えてきたんだと思います。

たぶんこれから、同じ業種だったとしても、リモートワークが増えればはたらき方の裾野は広がっていくと思います。いろんなはたらき方があるってインプットしていれば、めっちゃ楽しいはたらき方とか、自分にフィットしたはたらき方をつくり出せるかもしれないですよね。

僕だけじゃなくて、シマトワークスのメンバーも持ってる、今の段階での考え方とか方法論をプログラムで提供していきたいと思っています。はたらき方って自分でつくるもので、心地いいと思うのは自分だから。こうやればいいよっていう仕組みをいくつかプログラム化させて、色んな人と島での時間をシェアできれば嬉しいです。

あとはワーケーションを考えている人たちが淡路島にたくさん集まって、そこでのコミュニティができたり、集まって何かを考えたりすると新しいものがさらに生まれそうな予感がある。

そんな妄想をめぐらせて、僕はわくわくしています。